まずご挨拶。
ことのはじまりは2012.4月名古屋のSMバーでショウデビュー、もっとステージでのよろこびを知りたいと思い当時在籍していたAV事務所から同年11月浅草ロック座を紹介されましたがわたしがやりたい表現とは異なる世界ですぐ離れることになりました。その時に散々なことがありましたが、そんな時に御前珠里という名を人からいただきました。
半端者のわたしを受け入れてくれたのはニュー道後ミュージック、2014年が初乗りです。そこからずっとわたしのやりたいことをさせていただいてます。
でもいつからか「やりたいこと」を純粋にやれなくなりました、人に気を使うようになったからです。共演者にお客様や環境に左右されてしまうようになりました。
そして去年夏コロナにかかり後遺症からポーズと表情だけで踊らないようなステージでもしんどくなってしまいました。
1/10のラストステージをもって御前珠里の旅は終わりにします。
今まで演者でありながら企画オーガナイズキャスティング、演出や演者サポート、経理に営業にスタッフとやってきましたが、これからは人の助けを借りて出来ることをゆったりまったり頑張っていきます
・企画やキャスティング手伝いは可能ですが取りまとめたりするのは嫌です
・劇場10日間4回は嫌です、でもイベント出演やチームショー大歓迎です、そのときにソロショーもさせてもらえたらよろこびます
・脱ぐことややらしぃことすることは今までと変わりません
・グッズ作りや写真集づくりも控えたく、DL販売がメインとなります(共同制作は大歓迎)
いつ御前珠里の名前を捨てるかってことも9年ほど悩んでましたしね、ただのAKARIになりたいなって
みんなからしたら「ただの活動縮小」って認識で大丈夫です
でも私(踊り子、御前って苗字だった人)からしたらとても大きなことでした
「しずくちゃん」が失敗に終わって出来た「御前珠里」、そして御前の流派から離れ意味を失ったその名前を名乗ってるだけでわたしにとっては劣等感いっぱいでした
それに御前珠里は復讐劇、失敗したわたしの世界への復讐
楽しいことをして生き残ってる中で復讐にも飽きました、誰かと比べるのも飽きました、過去の自分よりパワーアップしたことにだけ満足していれば良いやって
踊り子の定義はそれぞれだけど、わたしは1日4ステージ10日間するのが踊り子の仕事だと思っていて、それが出来なくなったら踊り子とちゃうんじゃないかなぁって(おふぃすらぶは完走できたけども、笑)
それに向上心もってステージして生きてきたわたしには今の状況が苦しすぎて悔しすぎて
いろんな感情や思い出からラストステージのポラタイムでギャン泣きしてしまいましたがみんなも泣いてくれてありがとうでした、笑
これからも変わらずにおともだちでいてください
今年からブログ前みたいな形式にしていきますね
1/1松山入りでまったり移動疲れを癒す日にしました、2日3日はマインくんをゲストに特別興行「人間椅子」もあり、わたしはなんやかんや1日6.7ステージ(笑)
4.5.6と五十嵐夫婦、7.8.9.10と今賀はるちゃんがゲスト枠、お世話は月緒ちゃんにほとんど任せられたので自分のことに集中できて有り難かったです
今回の正月興行のキャスティングとりまとめはわたしですが、最初は月緒ちゃんと五十嵐夫婦が道後に乗ってみたいっておはなしからでした
その後今賀はるちゃんも〜ってこととなり、メンバー足りてない日にちにマインくん千代田彦ちゃんに協力してもらうことに
マインくんにはお誕生日たのしく過ごせるようにって課題プレゼントしたりね
わたしからお願いする形ではなくてするするっと決まったこと嬉しかったです
何よりも役割分担というか、わたしがやりたいことをみんながやってくれてるのが感動レベル…月緒ちゃんがわかめ酒して、五十嵐夫婦が縄をして、今賀はるちゃんがアクロバティックして…「わたしいらないじゃん!」って思えるのは寂しいことだけど有難いことでもあるんだよ
今回踊ってた「にゅーおふぃすらぶ」、サーカス学校入学前に封印した演目です
元の「おふぃすらぶ」は子宮頚がんの術後とかに踊ったりしていた作品で、ダンス苦手な踊り子さんにプレゼントしたりもしてた作品
そして温泉場の団体客様がいることを想定してつくった作品
ストファンしかいないときは奇跡も何も起こらないけどたまに神回が生まれるからたまらない
久しぶりに体感できて楽しかったです
劇場以外の時間も撮影や個人依頼や観光やうどん屋の手伝いや充実してました
やりたかったお勉強は集中力もたなくてダメだったけどね、苦笑